地味に修正
昨日と来週のNHK大河は利休切腹の行です。利休切腹の理由については諸説ありますけど、(軽い感じがすると賛否ある脚本の)田渕久美子さんの、“好きか嫌いか”の世界だったかも知れないですネ。
切腹を命じた関白秀吉でも蟄居させた利休の強奪を警戒して 上杉景勝の軍勢に守らせたのは有名な話ですが、
最高権力者でも色々地味な苦労はしていたようですネ
織田信長像:永徳の肖像画、秀吉が地味に書き直させる?
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110607k0000e040024000c.html
桃山時代の天才絵師・狩野永徳(1543~90)が描いた肖像画「織田信長像」(京都・大徳寺蔵)が、当初は左右色違いの小袖を身につけた華やかな姿だったことが分かった。派手好みの信長らしい肖像画が地味に描き直されたのは、豊臣秀吉の横やりだったのではとの見方もある。
一周忌や七回忌の法要は豊臣秀吉が施主を務めたが、三回忌のころは合戦中だったため、信長の側室「お鍋の方」が施主だった可能性が高い。「お鍋の方と永徳の協議でいったん完成したが、実質的な施主である秀吉がクレームを付けたのではないか。男のやっかみで地味に抑えさせたのか、それとも、派手すぎると風格に欠けると考えたか。理由はさまざまに想像できる」と話している
信長の三回忌法要の時期の合戦は小牧・長久手の頃だと推測されます。厳しい戦だった思いますが、秀吉は余裕があったんですナ、いやそれほど重要な事だったいうことでしょうか。
秀吉の出世は信長が取取り立ててくれたお蔭なのに、結構信長の子供たちを蔑にしていますので 後ろめたさはあったと思いますから 色々考えたのでしょうネ。
まぁ、この肖像画の謎は世の歴史好きの好奇心を刺激する事は間違いないでしょうから、これにまつわる小説とか出て来そうですネ
おまけの話
私も秀吉版 ダ・ヴィンチ・コードでも書こうかな、
まぁ無理か…。
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コメント
おはようございます、今朝はアツ~イ横浜です(汗)仕事場はエアコン初使用となりました、この時期にもうエアコンは早すぎるのではとも思いましたがナント横浜気象台の予報」では今日の日中は30度を越すとか、、
この先の7月8月の節電が思い遣られます。
千利休は明智光秀を唆して本能寺の変を遂行させたのではと昔何かの話で聞いたことがあります、武将ではないものの経済人としてさぞかし強い力を持っていたのでしょうね。
投稿: JOHN | 2011年6月28日 (火) 10時01分
こんにちは JOHN様 いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
こちらも暑いです、本格的な夏がもうすでに来ている感じですね
これで晴れると…。
光秀をそそのかした説は初めて聞きましたが、なるほどありそうですね!
信長亡き後 秀吉に乗り替わったのが早いとは思っていました。
信長が利休を介して(茶道で)当時 野武士のような無骨な武将に教養を付けさせ、また恩賞にも利用しましたが、
秀吉は利休の名前でお金儲けをしすぎたのではないでしょうかね(利休が茶器に値を付ける等)
利休が竹を切っただけの一輪挿しに黄金何枚もなんて事もあったようで(無茶苦茶^^;)、様々な歪みが出てきたのではと推測しています。
まぁ、利休も あくどく私財をタンマリ貯めたでしょうしね 元々堺の商人ですし。私的にはどっちもどっちではないかと。
人間権力を持ちすぎると変わるという事でしょうか??
管さんを見ると良く分かります^^;
投稿: 45net | 2011年6月28日 (火) 11時44分