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2011年10月21日 (金)

菜食のすすめ

文明開化以降 日本に西洋化の波がおしよせてから、服装も着物を着る人は殆どなくなり、食生活も洋式になりました。
結果 高脂肪、高コレステロールになり 成人病が多発し寿命も縮まる悪循環と指摘されています。
平均寿命こそ医療の進歩により 早世が減ったために伸びましたがネ
それでも 明治以前には無かった乳製品の摂取は丈夫な体を作ったと信じていましたけど
角田和彦医師によると「妊娠中に牛乳を飲むと元気な子供が生まれる」と勧められて無理して飲んだ人ほど、生まれてきた子供のアレルギーがひどいらしいですネ
http://homepage2.nifty.com/smark/
まぁ、アレルギーはそんな単純な問題ではないでしょうが、統計で出ている以上は注視しなければいけないでしょうネ

さて、明治時代 外人教師として来日していたドイツ人医師ベルツ博士の著書「ベルツの日記」に、当時の日本人の体力に驚いたとエピソードに書かれています。

ベルツ博士は、東京から110km離れた日光に旅することになり、馬を6回取り替え、14時間かけやっとたどり着いた。もうひとりの人は人力車を使って日光に行った。馬と人力車はどちらが早く着いただろうか?人力車はなんと30分遅れるだけで、それも交代なしで日光に到着している。ベルツ博士は、人力車の車夫の食事を調べると、玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵だった。日常食も米・麦・粟・ジャガイモなどの低蛋白質、低脂肪の粗食である。肉も食べずにこれだけの力が出ることに驚き、そこで、ドイツ栄養学を適用すればより一層の力が出るであろうと、ベルツ博士は食事の実験を行なった。22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人におにぎりの食事他の1人に肉の食事摂らせ、80kgの荷物を積み、40km距離を走らせ、どちらが長く続けられるかを試してみた。結果は肉料理を加えた車夫には、疲労が甚だしく募り3日でダウンし、もとの食事にもどした。一方、おにぎりは3週間走り続けることが出来たのである。肉の食事の車夫も、食べ物を元に戻すと元気に走れるようになったそうだ。この経験からベルツ博士は、帰国後ドイツ国民に菜食を訴えたと言う。

まぁ 簡単にまとめると、
成人の客を乗せた人力車夫が一人で東京から日光までの110キロの道を14時間半で走った。人力車夫が日常食べていたのは米、大麦、ジャガイモ、粟、百合根だった。そこで栄養学を適用して肉を食べさせると疲労が激しく、元の食事に戻すと走れた。菜食で疲れを知らない明治の人力車夫をならい 帰国後自国民に菜食を訴えたと

この話を聞いて 今までの知識が根底からひっくり返りましたよ

う~ん、肉は肉でもニンニクを食べましょう

おまけの話
精力の精の字は米で出来ているのにねぇ^^; 
まぁ、戦後日本は米国の余剰穀物特に小麦粉の消費国にGHQの戦略で成らされた事を押さえとかないといけないですネ。
カルシウムは小魚の骨でも摂れるしね

因みにWebで拾った話ですが、日本人は歴史的に乳製品を大量に摂取してこなかったので乳糖を分解する酵素を持たない民族。牛乳の蛋自質はカゼインで人間が必要とするアルブミンとは質が違う。そして、その粒子が比較的小さいために、ろくに消化されないうちに血液中に吸収されるとアレルギー反応を起こすそうです

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コメント

こんばんわ、鬱陶しい曇り空ですが昨日より少し暖かいような気がする横浜です、予報ではこれから雨が降るかも?らしいです。

相変わらずの「仕事日照り」が続き今日はもうお仕事終了です、しかしあんまり早く家に帰るとカミサンに「もっと稼いで来い!」と活を入れられるので時間を潰しています、まあ早く家に帰っても待ってる人もいないし、孫でもきていればトットとかえるのですが。

私も牛乳を飲む時は気をつけないと下痢してしまいます、古い人間だからでしょうか?我が家の子供達はヘ~キなようです、牛乳を飲んでいると背が伸びるとか色々と言われてますが日本人には合わないのでしょうか、子供の頃は1本の牛乳を兄弟で分け合って呑んでいました、ヨーグルトとか現在よりずっと高価な飲み物だったような気がします。

成人の客を乗せた人力車夫が一人で東京から日光までの110キロの道を14時間半で走った、>>これは少しムリがあるのでは?人力車を引いて平均時速約8キロで110キロ夜明けと共に5時に東京を出発しても日光には22時当時の環境を考えると確かに「日光街道」はあるものの夜道はかなり暗いでしょうし、、、、
忠臣蔵では、お殿様切腹の知らせを江戸から播州赤穂まで早籠、早馬をのりついで7日かかったとあります、まあ大きな川をいくつか渡らねばならなかったのでその辺スムーズに渡れたのかどうかですが、大事な「報せ」をおそらくは何人かの人がリレー形式で手渡して赤穂迄届けたのでしょうが大変な労力だったのではないかと思います。


投稿: JOHN | 2011年10月21日 (金) 18時55分

こんばんは JOHN様 いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
こちらは一日中雨でした、ただ気温は朝も下がらず昼も上がらずで一日中過ごし易かったですが。
ただ 来週から一気に寒くなるそうです。

そうですね ご指摘のように Drベルツも大袈裟な表記だったのかも知れませんね。
ただ、本文には書きませんでしたが、
昔、飛脚は江戸から京都までの約492kmを3〜4日で走ったそうで。飛脚は穀物菜食で1日2食の小食、麦入り玄米のおにぎりや玄米を蒸して乾燥させた干飯と沢庵と奈良漬を食べていたと記録がありますから、相当スタミナが有ったのは 間違いないでしょうね
当時の日本人の100%が一日2食で(昼ご飯の習慣が無かった)米3合以上一人で食べたといいますので 米食はスタミナ食なんですね

戦国時代から通信には様々な工夫をした狼煙を使ったと記録が有るので 苦労が忍ばれます。
そう言えば昨年の龍馬伝でも良く登場しましたが、龍馬はお姉さんとかにおびただしい数の手紙を送っていますけど、
竜馬の手紙の郵送料が現在のお金に換算すると3,000万円以上だったとか、
伝達にはお金も掛かったんですね。

投稿: 45net | 2011年10月21日 (金) 21時30分

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