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2011年10月19日 (水)

清水に魚棲まず

去年の今頃は愛娘の高校受験で大変だった事を思い出します。
娘の志望校に入る為の安全圏内には、なんと持ち点をこの短期間で40/250点上げなければならなかったからですが^^;
娘が一杯一杯で追い詰められた状況だった為、過去問を照らし合わせるとおぼろげながら傾向が見えましたので、結構山を張ったんですが、全教科概ね傾向は裏切らなかったものの、私の得意分野の社会の歴史が外れたのは(因みに江戸時代の文化と三大改革)申し訳なかったです。まぁ合格したので今となっては笑い話ですけどネ

さて、その江戸時代の三大改革の一つの松平定信の寛政の改革ですが
田沼意次の悪政を改革するために、善政だと称されている訳ですが 私はどうなんだろうと思っています。
田沼は商人たちと*重商主義政策、策蝦夷地開発、長崎貿易の制限緩和等によって成功(景気は良くなった)したが、贈収賄が横行し 物価が上がり風俗の廃退を招き この負の部分を定信が改めたというのが私の理解です。
今でいうと田沼が積極財政で定信が消極財政と考えるべきでしょうか。(まぁ定信の時の将軍が吉宗の享保の改革を理想としたそうなので仕方がないのかもしれませんが)
ただ、歌麿が世に出、解体新書が書かれたのも田沼の時代だと指摘する学者もいます。
何事も過ぎたるは及ばざるが如しで、定信は浮世絵、庶民の髪結、着物の柄まで贅沢のうちに数えたほどの徹底した質素倹約な方針で 特に庶民の楽しみの芝居にまで及ぶと田沼意次の政治を懐かしむ声も聞こえたと読みましたが 分かる気がしますネ

田沼時代は20以上続くも、定信は改革6年程で失脚しました
それでも清廉潔白な松平定信の人気は今も続いていますが

もし 問題選定委員が倹約だけでは良しとしない考えで問題から外したのなら たいしたものなんですが、それは無いか^^;

*株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、俵物などの専売による外国との貿易の拡大、下総国印旛沼の干拓に着手する

おまけの話
池波正太郎の代表作のひとつに“剣客商売”がありますが、その中に登場する田沼意次は武芸を奨励し、卓越した大局観と政治力を持つ好人物として描かれています。その影響を受けたのかもしれませんが、全く同感です。

あと、田沼は外国との貿易を黒字化させて国内の金保有量を高め、さらには北方においてロシアとの貿易も行おうとしていたとか、野田内閣の財務、外務 両素人大臣より遥かにすごいと感じますナ

尚、ハーバード大学のジョン・ホイットニー・ホールは「Tanuma Okitsugu」において「意次は近代日本の先駆者」と評価しています

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コメント

おはようございます、思わず首をすくめたくなる涼しさを通り越した寒さの横浜です「いきなり冬かよ?」と愚痴りたくなりました。

昔から改革や政変が続いていたのですね、徳川幕府300年の間にも色々と紆余曲折がありやがて外圧?に対抗しきれなくなり維新へと進んでいったのですね。

私も池波正太郎の「鬼平犯科帳」のファンです、子供の頃はチャンバラなんて、と思っていましたがハデな立ち回りではなくドラマを通して垣間見る昔の人々の真摯な思いや行動が現在の私たちが忘れてしまった何かを思い起こさせます。

私の誕生日は12月14日で、赤穂浪士の討ち入りの決行日です、昔から「忠臣蔵」に興味があり色々と調べもしました、田沼意次も当然どのように動いたか私なりの思いがあります、現在なら徒党を組んでの集団テロ行為ですがなぜ「志士」と呼ばれ英雄?になれたのか、調べると中々面白いです。タイムマシーンがないので真実の程は定かになりませんが、多くの研究家の意見を見ると政治の腐敗と平和ボケ(世紀末現象)が根底にあるようです、なにか現在の日本のようです。

投稿: JOHN | 2011年10月20日 (木) 09時32分

こんにちは JOHN様 いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
こちらは朝から良い天気で 洗濯日和という感じです。
ただ 明日から崩れるそうですが。

この度の震災後の日本人の対応が世界から絶賛されて 世界の中で日本人は勤勉、行儀が良く、礼儀正しく、騒がず、クレーム不平が少ない、しかも清潔であると評価されていると聞きます。
ただ、そんな日本人でも避けられないのが、妬みではないでしょうかね
田沼意次は失脚後は石高の減転封、財産も没収と苛烈を極めたと聞きました。ここまで徹底的にやられたのは同じく軽輩から側用人として権力をのぼりつめた柳沢吉保や間部詮房が、辞任のみで処罰は無く家禄も維持し続けたことに比べると異常と感じられます。
歴史は現在の権力者の都合の良いように書き換えられるのが常ですけどね、
ただ、外国の日本史研究家からの評価が高いように 日本でも見直してほしい政治家であると思っています。
因みに、仙台藩主伊達重村からの賄賂を田沼が拒絶したという史料の存在と田沼の没後松平定信によって没収されたときに「塵一つでない」といわれるほど財産がなかったとの逸話もあるそうなので、贈収賄は江戸時代通じての問題で、田沼だけの問題ではなく、それ自体もかえって少なかったという説も唱えらかけている事も合わせて抑えとかないといけないと思っています。

田沼意次で何杯もご飯が食べれるのに^^;赤穂浪士だったら米蔵を食い尽くすぐらい食べれますので 止めておきますが、
一言だけ、時の権力者だった柳沢吉保はどうも仇討ちをサポートしたのではないかと思っています。
彼もまた、世間の評価を疑って検証する必要がある政治家の一人だと思っています。

投稿: 45net | 2011年10月20日 (木) 11時09分

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