別れ
大型連休の前半に痛ましい事故が起こりました。
群馬県の関越自動車道で29日未明、7人が死亡し、39人が重軽傷を負った高速バスツアー事故ですが。
おそらくTV等で指摘している識者も多いと思いますが、私は運転手の過失も大いにあるとは思うものの デフレ時代を象徴する事故だったのでは というのが正直な感想です。
飛行機より2万近くも安くJRより1万円も安い 格安バスツアーに飛びつくのは デフレの時代なら仕方がないのかなぁと感じます
実際Webで検索するとバスツアーでも ワンマンバスと2人バスとては 料金も違う訳で、安いものには訳があり、高いものには理由が有る という事でしょうか。
私の業界の歯科技工業界は40年前からのデフレ産業なので身に染みて分かりますが、安かろう良かろうがまかり通る世の中には 行政がリスクヘッジを設ける必要があると思わせる事故でした
追記
先週の27日の夜 父が永眠しました。
ここ3~4年は若い頃の様に体調は万全では無かったものの、日常生活は何とか出来る状態でしたが、先々週から急に体調が極端に悪くなり、27日の未明に大型の脳梗塞を起こし 帰らぬ人となりました。
82年の生涯で 終戦が旧制中学だったので凄い苦労は有ったと思いますが、私が良く知る父は「飲む打つ買う」と道楽の限りを尽くし また 暴飲暴食を繰り返し、節制とは無縁の生活でしたから、後悔は無かったのではと思っています。
父の昔からの友人達は早くに体を壊したりして すでになく そう考えると色々あったでしょうが結果的に運の強い人だったのかもしれません。
旧制師範学校出で教育には熱心でしたので(私が)出来が悪かった為に中学ぐらいまで良く勉強の手伝いをしてもらったものです。(ただ私はアベレージヒッター(偏差値50前後)だったので父の期待には応えられませんでしたが…。)
晩年は川柳をこよなく愛し、教室も開いたほどの打ち込みようでした。また、父が発行する川柳の同人誌には必ず挿絵が添えられています。
殆どが有名作家のコピーを張り付けていたものですが、時折 父独特の柔らかいタッチの自筆画が書かれていました。
本人に確認したわけではありませんが、絵のコレクションも何点かあり、院展には毎年必ず駆け付けていたので 少年の頃は画家志望だったのではと想像しています。戦争の影響で夢破れた多くの人の一人だったと。
もう確認するすべは 有りませんが…。
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コメント
お父上のご逝去、心よりご冥福をお祈りいたします
仕方のない事とは言え、今までいた方がもう居ないとと言うのは何か心の中に穴があいたような空虚な感じがします
また亡くなられて、自分に対する故人の思いや願いのようなものも改めて深く感じ入ります
私の父親は早くに亡くなったのですが「元気に楽しく暮らす」ことが父親が私に望んだ事と勝手に解釈して実践しています、45netさんの父上もきっと同じことを望んでおられたのではないでしょうか。
投稿: JOHN | 2012年5月 1日 (火) 19時28分
こんばんは JOHN様 いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
また、お気遣いありがとうございました。
生前は嫌な事や辛い事しか思い出さなかったのですが、いざ亡くなってみると 不思議な事に良い事しか思い出さないですね。
なんかジワジワ悲しみが出てくる感じです。
一昨日葬儀を終えてからは精進落としと称して 父の好物ばかりを食しています。
元気な頃は焼酎のお湯割りに梅干を一つ入れて晩酌をしていたので、この連休は父を偲んで 父の好物だったものを父の愛用のコップで飲みたいと思っています。
後日談がまだまだありますので、順次呟こうと思っています。
投稿: 45net | 2012年5月 1日 (火) 20時31分