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2012年11月12日 (月)

暫定的な補綴物

私が26~27年前の修業時代に受けたセミナー(当時はゼミナールか勉強会と呼んでいましたが)の中で、暫間冠、暫間義歯の考え方についてがテーマのものが有りました。

そのセミナーで講師の先生は日本ではテンポラリー・クラウン(Tekや仮歯と呼ばれ歯科治療で用いられる暫定的な補綴物)は軽くみられ、適当に作られているが、それでは駄目だ と、色調も強度も大事だし、なにより最終補綴物が入るまでに機能の回復が必要だと熱弁されていました。(機能の回復については噛み合わせの回復まで言っておられたと記憶しています)
なんでも欧米ではレベルの低いTekでは満足されずに患者は逃げられるので、普通に補綴物として製作されている と。

当時はあくまで最終補綴物が入るまでの暫定的なものだから、あまり良いモノ作ると患者が来なくなるので粗悪品を作る様に との指示が普通でしたから、あまりの衝撃に欧米ではこんな進歩的な考え方をするのか と大袈裟ですが、戦争に負けるはずだと思いました^^;あと、私も若かったので ちょっとハイテンションに成ったのを覚えています。
ただ、現実的には、皆保険制度が無い欧米だから歯科補綴物は全て保険外の理念だろう とセミナーを受けて即実践された歯医者さんは皆無だったと思います。

私の修業時代は硬質レジンが保険外だったので、技工所でもトップクラスがM.B.P.(陶材の冠)をチーフクラスの技工士が硬質レジンをそして若手はテンポラリー・クラウンという位置づけでしたから、テンポラリーと言えども一生懸命で形態を覚えるため必死だったです。社長に認められて上に行くために本気で作っていたものです。
ですから、得意先から「もっと下手に作れ」なんて指示が出たら心の中で喜んでいました。

最近は日本でもプロビ(*プロビジョナルレストレーション)の仕事が普通に来るようになったので、逆に技工士は大変なのかもしれません。最終補綴物はもっと上を要求される訳ですからネ

おまけの話
当時テックがプロビだったら若手の仕事が無かったのかもしれませんネ
ただプロビの仕事をもらった時、スタディーモデルを要求しても無い事が多いので 若手に回ったかもしれませんが^^;

*プロビジョナルレストレーション/歯を削ってから最終的に出来上がるクラウンなどの補綴物が入るまでの間に装着する、仮の歯のことで、実質的にはテンポラリークラウン(テック)と同じものですが、ただの仮歯ではなく、最終補綴物が入るまでに歯肉の状態を整えたり、神経筋機能の調和までを目的とするという意味合いを持ちます。
最近ではCAD/CAMで作る場合もあります。

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コメント

おはようございます、今朝はこの秋1番の寒さの横浜でした、と言っても10度は下回りませんが、、
気が付けばもう11月も半ば、そろそろ忘年会の誘いなんかもあったりして、街にはクリスマスの飾りつけなんかも増えてきました
今年もナンカ「アッ!」と言う間に終わってしまいそうです

私の修行時代はラボ勤務ではなく院内技工士でした、技工学校卒業後は東京の銀座にある歯科医院勤務でしたが、華やいだ都会の空気に憧れていたのかな?
先輩の技工士と2人での勤務で消化出来ない仕事は外注に出し、どんなに忙しくても定時(6時)には帰れました、おまけに週休2日!ナントモ楽チンでしたっけ
1年程の勤務後、請い招かれて名古屋の歯医者に移りここも同世代の方と2人で仕事していました、しかし今のカミサンとの長距離恋愛がネックとなり名古屋も1年程で退散、横浜に帰って市街地にある歯科医院に勤務、ここの歯科医院は歯科大の同級生3人が共同経営している少し珍しい歯科医院で技工士も私を含めて3人いました、ここでも残業など無く遅くなっても7時くらいには帰宅していました、もっともコノ頃は歯医者も景気ヨク(保険点数が毎年上昇)
それほど多く患者を診なくても十分収入があったようです
ここの歯科医院に3年ほど勤務後開業したのですが、ほとんど基本しかできてなかったので、開業後は苦労の連続でした(患者さんゴメンナサイ)

最近は少なくなりましたが以前はTekのお仕事はケッコウありました、しかしそんなに難しい注文はなく支台歯形成前の模型をコチラで形成してTekを作るなんてコトもありました、こんなんで大丈夫なのかしらん?なんて思いながら作っていましたが、、

プロビジョナルレストレーション、やはりこのような考え方の基にTekも作られなければならないのでしょうね、経済的には難しいですが
やはり歯科も2極化の方向に向かうのでしょうか(もうなってるか)

投稿: JOHN | 2012年11月13日 (火) 10時33分

こんにちは JOHN様 いつもコメントありがとうございますm(_ _)m
こちらも朝から暖房なしでは寒い感じがします。でも10度以上はあるんですけど^^;
こちらでも、もう忘年会の予定も決まっている所が多いそうです。

私の修業時代は酷かったです^^;でもお話を伺うと 土地柄なのかなぁとも思いました。
関東のしかも横浜は特に都会なのかぁと羨ましく伺いました。
私は(大阪在住の)学生時代から米国帰りのブルジョア歯科医院1年、ド底辺ラボ1年のバイト生活で一日中技工生活でした。
卒業後は以前も触れましたが、月月火水木金金 の超職人肌社長ラボに3年の計5年間の泥水をすすった(自称です)修業時代の後、山口県に移って10ヶ月の天国の様な歯科医院勤務を経て開業しました。
でも修業時代のラボの社長は職人肌だった割に新しい事には貪欲だったので、日曜は勉強会に(セコイ人の為 自腹)強制参加させられたので、今から思えば、技術も叩き込まれ、新しい事も経験させていただいて(若干の)感謝しています。
修業時代の5年間で一通りの失敗をしましたので、開業後は田舎の低価格の方に苦しみましたが^^;

歯科の二極化は田舎でも実感しますね。入口が自動ドアでDrが何人もいて専属受付が複数いて事務員までおられる歯科医院も有れば、Drと奥さんだけでやっておられる歯科医院も沢山あります。都会ならもっと激しいでしょうね。
二極化は技工士もそうなりつつありそうですかね。収入面もそうですが、先日広大の歯学部技工(補綴??)学科卒の人と話しましたが、やはりセンター試験を突破しただけの事は有るなぁ と思いました。こんなインテリ技工士くんが増えると私の出番は無くなりますが^^;

昔は印象材も石膏も今ほど信用されてなかったですから、コア、テック、個歯トレーってセットでの仕事多かったですし、おまけに硬質レジンも保険外だったのでレジン人工歯の裏を削って即重レジンで貼り付けるCrも多かったですから、若手の仕事が多かったですね。

投稿: 45net | 2012年11月13日 (火) 11時46分

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